27回参拝
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第12代景行天皇の時代に、武内宿禰(たけのうちのすくね)がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。
武内宿禰とは
大和朝廷初期の伝説上の人物。《古事記》では建内宿禰と記す。タケシウチノスクネ,タケノウチノスクネとも読む。孝元天皇の孫(《古事記》)または曾孫(《日本書紀》)で,景行朝初年,紀直(きのあたい)の女を母として紀国で生まれたとされる。景行天皇の51年正月の宴に〈非常(おもいのほか)に備へて〉門下に侍し忠誠を賞され,同年棟梁の臣となり,記によれば成務,仲哀,応神,仁徳(紀では景行から仁徳)朝の大臣をつとめたという。
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