笈摺の起源
室町時代の、「三十二番職人歌合繪」に出てくる「おいすり」がもっとも古い史料である。
この「三十二番職人歌合繪」に描かれている巡礼者の姿。背中に貼り付けてある布に「三十三所巡礼同行三人」と書かれている。
笈摺は、幅36センチの白布を紺色の袖なしに縫い付けて作ったという。
十六世紀中頃に成立した『洛中洛外図屏風』(上杉本)。西陣の千本閻魔堂外に一人の巡礼者がいる。彼は参詣曼荼羅図などに最もよく見られている黒い笈摺を着ている。背中の布に「三十三所巡礼」が書かれたと推定される。
室町時代に成立したとされている『成相寺参詣曼荼羅図』。描かれている二人の巡礼者のほか、この参詣曼荼羅図に描かれている黒或は赤の笈摺を着ている巡礼者がさらに数人いる。
桃山時代に成立したとされている紀三井寺所蔵の「紀三井寺参詣曼荼羅図」に描かれている三人の巡礼者。巡礼者が着ている笈摺は背後真中の白布などと比較してみれば、両脇は白でないことがはっきりしており、枯草色のように見える。
桃山時代に成立したとされている、粉河寺所蔵の「粉河寺参詣曼荼羅図」に描かれている二人の巡礼者はもっともよく見られる黒と赤の笈摺を着ている。手前に描かれている巡礼者が着ている笈摺の両脇は黄色に見える。左の巡礼者が着ている笈摺は模様があるように見える。笈摺の多様性が窺える作品と考えられる。
菅笠は、参詣曼荼羅図や絵巻などで調べてみれば、菅笠も巡礼者に使用されていることは明らかであるが、中世の巡礼者がかぶっている菅笠にはまだ文字が書かれていなかったと考えられ、巡礼者が持っている杖と同様に、巡礼独特の装束、所持品というより、旅の必需品と考えたほうが適切であると思われる。
江戸時代に入ると、笈摺の様式に変化が起きた。元禄三年(1690)刊の『西国三十三所道しるべ』に所載した絵を見れば、笈摺はそれまでの「布が縫い付けて いる」から、「文字が書かれている」に変わった。
『西国三十三所道しるべ』に記載されている笈摺の書き様。真中にある「奉順禮西國三十三所」 の上に弥陀三尊、すなわち阿弥陀仏・勢至観音・観世音三尊の種子(しゅじ)が書かれている笈摺が多いが、ここでは阿弥陀仏・十一面観音・聖観音(観世音)の種子が書かれている。
笈摺はさらし白木綿で作った長さ二尺(約60センチ)、衽(あくみ)のない袖なしとなった。背後に弥陀三尊の種字や「奉順禮西國三十三所」のような文句を書く。種字は俗人が勝手に書けるものではなく、必ず僧に頼んで書いてもらわないといけない。さもないと仏に対して大不敬の罪を犯したと見なされるという。種字とは仏・菩薩及びその働きを象徴的に表示する一字の梵字であり、密教系の僧侶や修験が瞑想・観法をする際の観想対象である。「種子」とも書かれ る。僧侶の手を借り、笈摺に弥陀三尊の種子を書くことは笈摺がただの衣のすり破れを防ぐため着用される袖なしから一転して、「法衣」に生まれ変わったことを意味すると考えられる。すなわち、阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩それぞれを象徴する梵字が書かれている衣を身に纏うことにより、巡礼者が俗人から修行者になるのではないかと考えられる。このような笈摺を着ている巡礼者の姿は松尾芭蕉(1644~1694)晩年の自筆作「旅路の画巻」にも描かれている。
また、喜田川守貞の『類聚近世風俗志』に笈摺は普段着の上に着る「木綿で作った袖なしの短衣」であると記されている。『天保新増西国順礼道中細見大全』にも記載されているように両親健在なら両側を茜色に染める。さらに、片親が亡くなった人には真ん中を茜色に染め、 両親とも不在の人なら真白な笈摺を着用するようになった。両親の健在か否かにより笈摺の色を変える習慣が次第に見られるようになったことが江戸中期以降の道中案内書などから見てとれる。『西国三十三所名所図会』における巡礼者はこのような姿に描かれている。この習慣の起源は不明であるが、『嬉遊笑覧』 に、本来女の子のみ赤い笈摺を着用していたが後に男も着るようになったという。
嘉永六年(1853)刊の『西国三十三所名所図会』に「木本湊」にある親子巡礼。前頭にいる親が白い笈摺を着ている姿に対して、真中にいる子供は両側を黒く塗ったような笈摺を着ている。この子は両親とも健在のため、両側に赤く染めた笈摺を着ていることを表現している。
大正から昭和初期にかけての出版物や写真から見れば、近現代の巡礼装束は江戸中期以降の習慣をそのまま受け継いたことが明らかである。昭和六年前後に出された那智山の観光バンフレットに笈摺の真中を赤く染めた巡礼者の姿が描かれている。
現代では、西国三十三所札所会、先達委員会が発行した『西国三十三所勤行次第』に「巡拝者の持ち物」に「笈摺、菅笠、金剛杖、念珠、納め札、手甲、脚絆」と記載されている。そのうち、笈摺・菅笠・手甲・脚絆が装束の一部である。さらに、笈摺について「背負った笈が白衣に摺れるので、その白衣を保護する為のものと説明している。