2023.2.22 新大阪、天王寺、奈良、と行って、南円堂に向かう。8時半くらいに着く、二十七回目の参拝させていただきました。
カテゴリー: 西国三十三所巡礼の旅
圓教寺にお参りしました。
2023.2.8 姫路の圓教寺にお参りしてきました。電車、バスでロープウエイのところまで行き、そこから歩いて東坂から登りました。不整脈があるので、汗を掻かないよう冷えないように慎重に登りました。しかし、途中、脈拍が160までいき、ペースダウンさせました。(笑)圓教寺恐るべし
三室戸寺、醍醐寺、行願寺、六角堂をお参りしました。
2023.2.1 心臓の調子が悪いので、長距離の歩きは断念です。なので、回っていない三室戸寺から参拝させていただきことにしました。新大阪まで新幹線、山科まで新快速、地下鉄で六地蔵、歩いて京阪六地蔵まで、三室戸で降りる。歩いて10分くらいかな。
あ、そうそう、ここで書いておかないといけないのは、次に行った醍醐寺で話しかけられた81歳老人、准胝観音はここが(醍醐寺)が始めてという、聖宝大師が設置したのが始まりだというんです。私が高野山の方が早いというと、凄い剣幕で説明始めた、聖宝は空海の孫弟子ということは老人は知っていた、醍醐寺に56年通ってるらしいが、教えてもらってないようでしたね。私のこと、若いようだからゴリ押しすれば通ると思ったのでしょうか、最初から最後まで一方的で終わりました。霊宝館に伺う予定でしたが帰りました。
ウィキペディアから引用
日本の真言宗の開祖である空海が高野山の開基の際に、僧房の次にまず准胝堂を建立し、准胝観音を弟子たちの得度の本尊としてお祀りしたのは有名で、のちに高野山が荒廃した際にも僧俗の手によって庫裡にこの准胝観音を安置し守り続けられた。それゆえ、准胝堂の補修が行なわれた昭和の時代になるまで、高野山では准胝堂で僧侶となるための得度の儀式が執り行なわれていた[20]。また、真言宗醍醐派の開祖・聖宝尊師がこれに倣って醍醐寺の開基に准胝観音を勧請し、その孫弟子の仁海は六観音に准胝観音を加え、その後も長く民衆の信仰を集めている。
長谷寺から巻向駅まで歩く。
このサイトについて、更新履歴とか
2024.3.1
このサイトをいつも見ていただき有り難うございます。m(__)m
今年は中々お参りに行けません。ぼちぼち回っていきたいと思います。
母の介護があるため夕方の5時に帰宅しないといけません、長距離は歩けません。20kmくらいまでですね。
これからもよろしくお願い申し上げます。