昨日は滋賀県まで行って来ました。長命寺から観音正寺まで歩いて中山道を少しだけ歩きました。
歩き時間が掛かる予定でいますので新幹線で行く事とした。朝一の新幹線に乗り遅れる(笑)
岡山6時20発に乗れた。京都からは普通で近江八幡まで、長命寺までバスで移動。490円です。
さぁ御山の下からあがりますよ〜808段の階段。この前は11分掛かったが、、(笑)
今回は、、あまりきばらんとこ!ゆっくりあがる。しかし、調子にのって。。

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西国三十三度行者
京都市のHPによれば
江戸時代初期から昭和30年代前半まで,この西国三十三所を廻った民間の廻国修行者の存在が確認できる。行者は,サンドサン,オセタハン,セタブッサンなどと呼ばれ,各々オセタ(御背板,もしくは御背駄)と呼ばれる笈を背負って廻国をした。オセタはセタ元,あるいは本山などといわれる寺院が管理しており,京都では廻国修行を志す者は,こうした寺院に願い出てオセタを借り出し,西国三十三所を三十三回廻ることで満願となった。
現時点で確認できている本山は6箇所で,京都では東山区の称名寺が,大仏組の本山として,かつては5基のオセタを有し,常時5人の廻組修行者を抱えていた。
オセタは,木製の本体とその上に載せる行李とに分かれ,本体には熊野権現本地仏や西国三十三所の本尊を納めた厨子の他,仏具,位牌などを,行李には幡や打敷などの布製品や宿帳などを納めた。法会の際には階段状の祭壇となるような拵えである。
行者は,廻国修行の際,巡礼道沿いに分布する信者のもとに立ち寄り,そこでオセタを開帳し法会を執り行った。各オセタには信者の住所を記した宿帳がついており,行者が変わる際には,後継の行者はオセタと共に檀那場も継承する慣行となっていた。

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橋立や遥かに遠い日本海
七日は姫路の書写山から日本海に向けて歩く初日の日です。書写山圓教寺から成相寺へのルートです。120kmあり順調に歩けば4日掛かります。
この前、置塩坂を降りて来て切ったので書写吹から出立の予定が、、姫路駅でバスが無い。仕方が無いので県立大行きに乗り横関で降りました。
8時25分、ロープウェイ方向に歩いて行き夢前川の西側を行けるかなと思っていたのですが行き止まり。(笑)
Uターンすることに、、早速、歩数を稼ぐ事に。(笑)
夢前川の橋の上から

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歩るきたい(^.^)
歩かないといけない!
体がそれを要求している。
昔の巡礼記を調べていると三井寺の覚忠が歩いた巡礼記が史実に一番古いようだ。で、巡礼ルートを見てみるとピピっと来るものがあった(^.^)粉河寺から桧原越えしないで壺阪寺に向かう。そこから南円堂まで行き、施福寺にいく。次に葛井寺に行き、総持寺に抜ける。勝尾寺から宝厳寺、谷汲に行き、観音正寺、長命寺、三井寺、石山寺、岩間寺、醍醐寺にいく。この辺りは逆うちだ。今熊野に行き六波羅、清水寺、六角堂、行願寺、善峯寺、穴太寺、最後に三室戸寺で打ち止め!!覚忠は75日掛かったそうだ。現代において覚忠の巡礼ルートを実行した人はまずいないだろう。だからやる価値はある。いややらねばならぬ!そのためには大辺路ルートも通らないと行けない。粉河から壺阪に抜ける道も開拓しないといけない。車では通ったことがある。それと穴太寺から帰って来る道もどこを通るか?今では山陰道は危なくて通れない(-。-;清滝に抜けるルートは知っている。学生時代、亀岡に住んでいたのである程度は解っている。
やってみたいね〜覚忠ルート(^.^)
巡礼の御利益
そもそも修験関係の僧侶や山伏が修行として行なっていた西国巡礼は一般民衆とは無縁のことであると思われる。一般民衆が巡礼に参加するようなったきっかけとして、巡礼案内書や西国三十三所観音霊場寺院が説いた西国巡礼の御利益が巡礼者を誘致したと考えられる。江戸中期の巡礼案内書『西国順禮細見記』に西国巡礼の御利益として、
順礼十種の徳
◯一ツニハ三あくどうにまよハず
◯二ツニハりんじう正念なるべし
◯三ツニハ順礼する人の家にハ佛 ゑうがうあるべし
◯四ツニハ六くハんをんのぼん字ひたいにすハるべし
◯五ツニハふくちゑんまんなるべし
◯六ツニハ子孫はんじやうすべし
◯七ツニハ一生の間僧くようにあたるなり
◯八ツニハふだらくせかいに生ず
◯九ツニハかならずじやうどにわうじやうす
◯十ツニハしよぐハん成就する也
とある。中山寺文書の『西国縁起』にも
順礼の功徳広大なるゆへに。十徳をあげて
一ニハ三悪道にまよわず
二ニハりんじう正念なるべし
三ニハ順礼せし人の家ニハ諸仏影向す
四ニハ六観音の梵字額 にすハるなり
五ニハ福智円満なるべし
六ニハ子孫繁昌すべし
七ニハ一生さいなん来らず
八ニハ補陀落世界にあそぶ
九ニハかならず浄土に往生す
十ニハ一切諸願成就満足す
とほとんど同様な巡礼の功徳が記されている。巡礼者の家には常に観音様と諸仏の加護あり、代々子孫繁昌で絶えることがないと保証される、巡礼した人は生存する間に悪事災難がなく、どんな願いも叶えられる、死亡した後も地獄・餓鬼・畜生という三悪道に堕ちることはなく、必ず極楽浄土に生まれ変わり、観音が坐す補陀落浄土へも行けると約束する、という。徳道上人の冥界訪問譚にしても花山院の巡礼中興譚にしても西国巡礼の縁起物で強調している「地獄に堕ちることなく、必ず極楽浄土に往生できる」という閻魔王の承諾のみならず、巡礼した人自身の現世の幸福も家の代々繁昌も約束される。これは平安末期から貴族と公家を中心として盛行してきた浄土信仰と中近世における現世利益を重視する庶民信仰の集大成的広告文と言えるであろう。このような「順礼の十種の徳」は極楽往生を志願する人に対しても、現世の多福を求める人に対しても西国巡礼を勧誘しようとする意欲を示しているのではないかと考えられる。