法隆寺駅から當麻寺、叡福寺、葉室を歩く。

8月3日、覚忠大僧正の巡礼ルートを歩いています。前回、天理から法隆寺駅まで歩いていたので、その続きです。施福寺に向けて歩きます。ルートですが、葛井寺まで行き施福寺に向かうか、當麻寺に行き、施福寺に向かうか、迷ったが、多分、當麻寺、叡福寺ルートを通ったと思う。聖徳太子の廟があるためだ。是非にでもお参りしたい。その近くに、西国三十三度行者を出していた葉室がある。ここも尋ねないといけない。ということで法隆寺駅発、10時25分。今回もビデオを撮ってきています。
法隆寺駅

大和川を渡り、西名阪の側道を通る。側道は意外と涼しかった!
川沿いを登っていく。何河?しかし、ミドリガメはどこにでもいるな!鴨もいた。
国道168号に合流、近鉄下田駅を通る。
近鉄南大阪線を過ぎ、大和高田バイパスを過ぎる辺りから田舎道になる。二上山が見えてきた。中将姫ゆかりの石光寺への道標も見えてきた。
石光寺

石光寺は関西花の寺にもなっている。百日紅。
石光寺

當麻寺に着いた。今日は時間が無いので本堂の拝観はやめにした。
當麻寺

當麻寺

ここに中将姫が一晩で織ったという當麻曼荼羅がある。
當麻寺

竹内街道に向かう。登りがきつい。暑い。(笑)途中、登りで走ってしまった。時間が無かったので。前、葛井寺からきた時は叡福寺に寄れなかったので楽しみにしている。蚊がすごい。なんとか竹内街道の登りを登りきり、道の駅でドリンクタイム。やっと自販機にありつけた。きちっと整備された竹内街道に入る。舗装が綺麗。
叡福寺に着いた。ここには聖徳太子の廟があります。
叡福寺

叡福寺

叡福寺 聖徳太子廟

次は、近くにある葉室による。ここから1kmくらいだ。
葉室は昭和30年代まで三十三度行者を出していたところだ!ここには是非来たかったのだ。
佛眼寺
佛眼寺

佛眼上人遺跡、江戸期に河内国石川郡葉室村の庄屋を勤めた池田家の第十六代当主・清左衛門(藤兵衛)が、伊勢神宮に三十三度参拝したことを記念して元文二年(1737)九月に私有地内に祀ったもの。
佛眼上人遺跡

古社寺巡拝記から引用すると

十七歳で皇位に就いた花山天皇は師僧を求めていた。相応しい者がなかなかみつからず、神意を仰ぐべく熊野に勅使を派遣する。熊野権現に祈念した勅使は、帰京の道中で望みの僧と出会うであろうとの夢告を得る。帰途河内石川寺(叡福寺)の聖徳太子廟に参詣した勅使の前に、異僧が忽然と姿を現す。僧はみすぼらしい身なりだったが、その両眼からは金色の光を放っており、一目でただならぬ者であると知れた。勅使は僧を京へ同道し、天皇に引き合わせた。僧は「佛眼」という名を天皇より贈られる。そして佛眼が戒師となり天皇は落飾、退位して法皇となる。
 佛眼上人は法皇に、徳道上人以来絶えていた三十三所観音巡礼を衆生救済のために復興すべきであると勧め、中山寺に宝印と起請文が残されていることを告げた。こうして、先達を務める佛眼上人や播磨書写山円教寺の性空上人らとともに花山法皇は三十三所巡礼に赴き、後世に西国巡礼中興と称されることとなる。
 巡礼を終えると、佛眼上人は熊野に参詣すると言い残して姿を消す。実は佛眼上人は熊野権現の化身であった。
 佛眼上人をなおも慕う花山法皇は、上人が最初に現れた叡福寺に程近い葉室の地に師の名を冠した寺院を建立する。それが佛眼寺であるという。

佛眼寺は以前、ここにあったという。
このホームページによって参拝することができた。助かりました有り難うございます。

近鉄喜志駅に着いたのは17時過ぎていた!

今日も良い参拝が出来ました。これもお大師様、観音様、神様のおかげでございます。次回も宜しくお願いします。

今回のビデオ、西国三十三所徒歩巡礼、法隆寺駅から當麻寺、叡福寺、佛眼寺

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