東赤坂駅から華厳寺まで歩く。

27日は、前回、養老鉄道の東赤坂駅まで歩いていたので、そこから華厳寺まで歩かせていただきました。
9時35分東赤坂駅発、一路、結願寺の華厳寺に向けて歩く。
写真は、養老鉄道大垣駅。
養老鉄道

東赤坂駅から谷汲道までもどるのに30分もかかる。ロスだな〜
谷汲道までもどると、このような石灰の採掘会社が連なっている。ここを通るのは一種の修行か!(笑)
でも溝にいるザリガニに癒される。
赤坂付近

北上、北上、北上!!!下八幡を過ぎ、川を渡り程なくすると、乳くれ地蔵に着いた。私はここに来たかった。どのような波動があればいいのか!感じてみたかったのだ。案の定すごい波動だ。
乳くれ地蔵のいわれは、

 文政六年(1823)年五月、巡礼街道の八幡地域内で一人の老人がうずくまり苦しんでいた。
老人は道行く人に「どうかあなたの乳を飲ませて下さい」と懇願するのだが、気味悪がって誰も近づこうとしなかった。八幡村の庄屋竹中惣次保常の妻おみねは、苦しむ姿を見かねて、老人の前で胸元を広げようとした。すると老人は「もったいない。おやめください」と言って身の上話を始めた。
 老人は伊予国氷見村(現在の愛媛県西条市氷見)の宥峯といい、地蔵尊建立の願いを持って谷汲山への巡礼を行っていた。しかし、この八幡の地で病に倒れ、地蔵尊建立のために蓄えた金と願いを託せる慈悲のある人を探していたという。おみねは宥峯の願いを聞き入れ、息絶えた巡礼の亡骸を葬りこの地に地蔵尊を建立した。
 以来、この地蔵は乳くれ地蔵と呼ばれ、乳の出ない母親などが詣るようになり、現在でも多くの参拝者を集めている。
 地蔵尊の建立から百十年後の昭和八年、おみねの曾孫にあたる竹中敏子さんは、今上天皇のお乳人として八幡から参内された。巡礼に乳を与えようとしたおみねの慈悲が応報したような、強い因縁を感じさせることである。

乳くれ地蔵

乳くれ地蔵

乳くれ地蔵

しまった、隣の地蔵堂を撮るのを忘れてしまった。(汗)
さぁ谷汲に向けて歩きます。
華厳寺に向かって

揖斐川の三町大橋を渡る。鮎を釣っている人を何人も見かける。
揖斐川

渡りきってすぐ左折。景色が綺麗だ。
揖斐川

揖斐川

トンネルが見えたので、そちらに向かうとこれが間違いだった。暑さでボケとるな!この後、トンネルを2つくぐって大回りになる。(汗)32℃あった。
やっと県道251号にでた。養護学校の前を通り、満願の湯の前を通る。やっとここまで来たか!

念仏池というのがあった。
花山法王が谷汲山に参られた帰り道、ここで休んで念仏を唱えられていると、水が「仏仏」湧き出てきました。このことからこの池を「念仏池」と呼び、お堂を造って地蔵さまを祀ることとしたそうです。龍がいます。ここは水が枯れない。
念仏池

やっと山門に着いた。もう14時半だ!5時間掛かったことになる。33000歩。
華厳寺

華厳寺

華厳寺参拝で西国三十三所巡礼も11周目結願です。。12周目に向けて頑張ります。
今日も良い徒歩巡礼ができました。これも御大師様、観音様、神様のお陰でございます。次回も宜しくお願いします。

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